第一子出産
自分が30歳になった年に結婚後の一大イベントが訪れます。結婚四年目に長女が生まれたことです。
今でもはっきり覚えていますあの頃の様子を。妻が妊娠したと知った時の喜び。どんな子が生まれるのか、とても楽しみいていた日々。名前をいろいろ考えたこと。子ども部屋の準備。
子供の姿が写っているエコーの映像を見ては誰に似ているとか、親バカ丸出しです。胎児教育にいいからといってクラシック音楽を聞かせたり、おなかの赤ちゃんに話しかけたりと、とても楽しい時期でした。
そして、出産当日。夜中に陣痛が始まりました。すぐに病院に連れて行来ました。最終的に陣痛が始まってから出産まで10時間以上かかりました。頭が大きいため自然分娩では無理と判断され、緊急帝王切開に決定。自分も手術室に入り長女の出産に立ち会いました。そのため、生まれた時1番最初に抱っこしたのは私です。
その時の自分の子が生まれたという感動は一生忘れないでしょう。家族が1人増えて家の中が明るくなり、赤ちゃんの泣き声がとても新鮮でした。夫婦で子供の将来を語り合うことが楽しくてたまりませんでした。
幸福の時期は長くは続きませんでした。実は子供が生まれる数カ月前から体調が少しおかしかったのです。
体調がおかしい
妻が妊娠してしばらくたった頃から、私の体調に少し異常が出始めていました。今だからはっきりとおかしいと言えますが、当時はちょっと風邪をひいたか、少し疲れがたまったぐらいとしか思っていませんでした。
テニスをする時も数ゲーム打っただけで息が切れていたけど、この時もまだ、風邪かなんかだろうと思っていました。
ジョギングもしていたし、ご飯は普通に食べていたし、これといった目立った異常はありませんでした。
しかし、長女の出産後ぐらいから徐々に体調の異常が自覚できるようになりました。朝、起き上がるのがつらいのです。トイレに行って用を足した後の尿を見ると、ある日から色の濃い茶褐色になっていました。
ここまで来ると、さすがにおかしいと思ったので、近所のホームドクターに相談しに行きました。1回目の診察では風邪と診断され、薬を三種類ほど渡され返されました。一週間、薬を飲んでも全く良くなりません。
ネットで自分の症状を調べて、なんとなく肝臓が悪いのではと疑っていました。もう一度同じホームドクターに行き、血液検査をしてもらいました。
数日後に検査結果をもらいましたが、出てきた数値を見て本当にビックリしました。
劇症肝炎、血液検査でALT(GPT)が3800!
血液検査の結果はGPTが3800でした!その時の医者の言葉は「原因が見つかって良かったですね、専門医を紹介しますね。」だけです。なんと無神経な医者だろうと思いました。1回目の診察で検査もせずに勝手に風邪と診断し、安易に薬を処方すること自体が医者として正しい対処の仕方なのだろうか?
肝臓に炎症が起きていることを知らないとはいえ、医者の言うことを鵜呑みにして薬を飲んでいた自分がつくづくバカだなと思いました。
それにしても、あの時医者にもう一度診断しに行かずに、放って置いたらどうなっていたことか。肝硬変になっていた可能性は高かったでしょう。
心の中で「このやぶ医者が!」と叫んでいましたが、信じた自分がバカだっただけです。自業自得です。それでも、医者からの専門医への招待状は欲しかったので、叫びたい気持ちを抑えて頭を下げ、招待状をもらって病院を出ました。
もう二度とこの医者に会うことはないでしょう。
ALT(GPT)の数値が3800って、どれぐらいすごいかわかりますか?
肝臓に異常がある時にGPT、GOTの数値が高くなるのですが、200を超えれば絶対安静と言われているところの3800です。ちなみに正常値は35以下です。
いつから肝臓に問題が起きていたのかわかりませんが、長い間放っておいていたのは確かです。
知らないうちに長い間、肝臓に炎症が起きていたわけです。その間も普通に生活をしていました。仕事、家事などをこなし、テニスもしていたわけですが、全然気が付きませんでした。「肝臓は沈黙の臓器」と言われる理由がよくわかります。
じわじわと肝細胞は傷つき、線維化していたのです。その後しばらくしてから、精密検査で知ったのですが肝硬変の一歩手前まで肝臓は傷ついていたらしい。
B型肝炎のキャリアと診断
早速、その日に予約を入れてもらい、招待状を持って専門医に会いに行ってきました。その日は簡単な問診と血液検査だけして、絶対安静にするように言われ、とりあえず家に帰ることに。
家に帰ってからはとにかく体を横にして本を読んだり、テレビを観て過ごしていました。
その翌日、血液検査の結果を教えてもらうために医者に電話しました。HBs抗原が陽性(B型肝炎ウイルス)だとわかりました。つまり、自分は母子感染によるB型肝炎のキャリアだということです。
ここでも、今思えばバカだなとおもうのですが、無理にでも医者に精密検査を頼めば良かったなと思います。なぜかというと、この専門医も忙しくて、あまり真剣に話を聞いてもらえませんでした。
B型肝炎だということがわかったのは良いけど、この時点で治療の話や肝生検、エコー、CT、MRIなどの精密検査などもしてもらえませんでした。
ちゃんとこの事態を真剣に受け止めていればよかったのですが、そうしなったがために、その後もっと痛い目に会うことになったからです。このことが今でも悔やまれす。
幸いなことに、その後なんとか全力を尽くしたおかげで今もこうして元気でいるのですが、一歩間違っていたらこの世にいなかったかもしれません。
数週間の絶対安静で数値が正常値に戻る
最初の血液検査の結果が出て、安静にし始めてからその後2,3週間はとにかく体を安静にすれば簡単に治るだろうと思っていました。実際に、運良く数値は3週間ほどでGPTが100ぐらいまで下がりました。それから、仕事も復帰、軽く打つ程度ですがテニスも開始。
簡単に数値が正常に戻ったため、慢性肝炎が発症してから、どのような経緯をたどる可能性があるのか全く調べませんでした。本当は知るのが怖くてあえて目をつぶっていたところもあったと思います。
少し、サイトで肝炎ウイルスの記事を読んだり、妻の方の実家にもB型肝炎のキャリアの人がいて話を聞いてはいましたが、軽く聞き流していました。今思うと、肝炎になったこの時点で真剣に食生活を変えるべきでした。
私が唯一したことは、良質のタンパク質とることが肝臓に良いと言われていたので、鳥のささ身、納豆、豆乳をたくさん食べるようにしていたぐらいです。
相変わらず、お酒は飲んでいました。飲む量を減らせば大丈夫だろうと思っていたのがいけませんでした。
なぜなら、しばらくしてからまた肝炎で体調を崩すことになるからです。