肝臓がん闘病記

今年で私は49歳になりました。毎日、好きなことをして楽しく過ごしています。大好きなテニスを週に三回、そのうちの一回は家族四人と一緒に打っています。それ以外にもプールに週に2,3回、ギターのレッスンが週に一回(練習は毎日)、夏だけですが天気のいい日にはハイキングかサイクリングに行きます。

春と夏には家族でヨーロッパと東南アジアを中心に旅行、冬は一週間ほどのスキー旅行に行きます。テニスも、スキーもアウトドアアクティビティも家族で一緒にできるが私の夢でした。

結婚して子供ができたら絶対に家族でテニスとスキーをしようと決めていたので、それが実現できて本当に幸せです。

健康面では、B型肝炎のキャリアですがそれ以外ではいたって健康です。現在の体重は高校の頃とほぼ同じ。体幹トレーニングと筋トレのおかげで無駄なぜい肉が落ち、逆に筋肉がついたので、あの頃よりも引き締まっています。同窓会に出て同級生の皆に会うと、ほとんどが中年太り。

太っていない人はわずかで、スリムで引き締まっている同級生といえば私ぐらいでしょうか。もっとも、会っていない人の中には運動を続けている人もいて、体形を維持している人もいるとは思います。体力的にも今までの人生の中で1番体力があると思っています。

自分が今こうして健康で人生を謳歌しているなんて、20年前では考えられませんでした。一歩間違っていたらこの世にいなかったかもしれないのです。

第一子が生まれて幸せだったのもつかの間、B型肝炎が発症。肝臓が肝硬変一歩手前と診断されました。治療をして、数値が正常に戻ってから2年後に第二子が生まれます。第一子の時と同じで、幸せのまっただ中に今度は肝ガンがみつかります。

天国からいっきに地獄に落とされた感じです。

自分は子どもたちの成長を見ずに死んでいくだろうかと人生を恨みました。

それでも、20年近くたった今も私はこうして生きています。本当によくここまで頑張って来られたなと思います。

同じような病気で苦しんでいる人、悩んでいる人たちのために少しでも生きる勇気を持ってもらいたくて、この回想記を書こうと思いつきました。

あの頃の自分もそうでした。お先真っ暗で、未来が見えてこないのです。自分の人生はこれでおしまいだと決めつけ、その場から逃げ出したい気持ちになります。

でも、待ってください。人生はまだおわっていません。やれることはあります。一生懸命、生きる努力をしてください。きっと道は開けると信じています。

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30歳、B型肝炎発症とガン発症までの2年

肝臓に異常、B型肝炎発症


自分が30歳になった年に結婚後の一大イベントが訪れます。結婚四年目に長女が生まれたことです。

その時の自分の子が生まれたという感動は一生忘れないでしょう。家族が1人増えて家の中が明るくなり、赤ちゃんの泣き声がとても新鮮でした。夫婦で子供の将来を語り合うことが楽しくてたまりませんでした。

幸福の時期は長くは続きませんでした。子供が生まれる数カ月前から体調が少しおかしくなっていました。検査した結果、自分がB型肝炎のキャリアで、肝炎が発症したことがわかったのです。

肝炎が再発、肝硬変一歩手前まで進行

最初の肝炎発症後、しばらくしてから数値が完全に正常に戻ったため調子にのり、お酒を飲み始めました。いつも通りの生活に戻り、ホッとしていたのでしょう。完全に気を抜いていました。

最初の肝炎発症から数カ月たった頃です、また疲れを感じ始めました。尿の色も茶褐色で、ベッドから起き上がるのもつらく、これはダメだと思ったので兄に電話して病院に連れて行ってもらいました。

医者からB型慢性肝炎のキャリアは肝炎が発症したら、治療を始めた方がいいと言われ、ウイルスマーカーと肝生検の検査も早速してもらいました。

検査結果は、ウイルス量は大体6Log copies/ml、肝臓の状態は肝硬変にほぼ近く、肝線維化のステージはF3(高度)からF4(肝硬変)の間という診断がくだされました。肝硬変一歩手前だということです。

肝臓にガンができ、手術をすることに

次女が生まれて家族四人に増え、家の中がさらに賑やかになりました。育児は大変だったと思いますが、毎日が幸せで一杯でした。

それが、医者からかかってきた一本の電話で一気に吹っ飛びます。

電話で単刀直入に「CT スキャンの結果が出ました。肝臓に数センチの腫瘍が2つ見つかりました。手術で摘出した方がいいでしょう。」とこんな感じで事務的に伝えられました。たった数分のやりとりです。

手術をした方がいいと医者に言われ、この時も疑いもせずに言われたまま手術をすることに同意しましたが、手術をせずに放射能治療や抗がん剤治療などの選択肢もあったはずです。しかし、あの頃はそんな余裕がありませんでした。でも、それがかえって良かったのかもしれません。もちろん、手術に成功したからそんなことが言えるのでしょうけど。

肝臓の移植をするべきか悩む

手術後の一年間、何度も医者から移植を勧められます。肝臓ガンの再発リスクがあるから、今なら肝臓が健康な状態にある、するなら今しかない。毎回、会う度にそう聞いてきます。主治医の言うとおりに肝移植をした方がいいのか悩みました。しかし、移植をすることが納得できないのです。

主治医が自分の点数稼ぎか、肝移植の事例がほしいから移植を勧めているのではないかと思ってしまうのです。

結局、日本でセカンドオピニオンを聞いてから決めることにしました。とりあえずは移植の件は考えますと主治医に伝えて、返事は保留にしてもらいました。

肝臓に悪い生活習慣はやめる

長生きすることを誓ったのはいいが、何から手を付けて、具体的に何をすればいいのか?

いろいろ考えた結果、まずはじめに今までの自分の日常生活を振り返ってみることにしました。その中から、健康に悪影響を与えるだろうと思われる生活習慣、特に肝臓に負担をかけた事をリストアップします。そして、それらの生活習慣を自分の意志でコントロールできる物はキッパリ止めることに。

食生活の改善、がん再発予防にしたこと

食生活が健康に大きく影響するのは誰もがわかっています。しかし、頭でわかっていても人はなかなかその習慣を変えようとしません。

本来なら私みたいに命が関わってくると人は本気になります。しかし、人は年をとればとるほど習慣を変えるのが難しくなってきます。特に食べることは日常生活の楽しみの一つ。食べ慣れたものをやめて健康のために野菜中心、玄米、雑穀を食べろと言われても、そう簡単には変えられません。

初めの方はとにかく、肝臓によいものなら何でも試しました。本やネットで紹介されている、肝臓によいとされる食材を使った料理がほとんど。もっとも、肝臓に良い食事は肝臓にだけではなく、健康そのものによいのです。それから徐々に、長生きするために食生活を全般にわたってガラッと変えました。

今振り返ると、まあたくさんの事に挑戦したなと思います。「背水の陣」の気持ちもあって、毎日が必死だったのでしょうね。肝ガンの摘出手術をしてから十数年がたち、なんとかここまで生存できたのはこれらの努力があったからと自信を持って言えます。

たくさんの事に挑戦し過ぎたこともあり、今では時間がかかることや、面倒なこと、お金がかかることはやめています。あるいはお金で解決できる事や、比較的に安く済ませられる方法がある場合は、そっちの方を選びます。

長続きできなければ意味がないので、シンプルかつ効率のよい方法を見つけることが長続きするコツだということがわかりました。

高タンパク質、発芽玄米

  • 肝臓の回復には高タンパク質がオススメ。
  • 食生活を見直すに当たって、健康に最も効果があったと思えるのは発芽玄米です。日本で出版されている健康関連の本をたくさん読みましたが、どの本でも玄米が紹介されています。

一家に一台は欲しい!発芽玄米が簡単に作れる玄米発芽器

日本ニーダー(KNEADER) 玄米発芽器 発芽のちから YC101G

かれこれ10年以上、発芽玄米を食べていますが、ガンの再発を今日まで防げられたのは発芽玄米を食べているからと言っても過言ではありません。もちろん、発芽玄米を食べただけでガンの再発防止ができるとは言っていません。しかし、ガンの再発防止に貢献している主な要因の1つであることには間違いありません

発芽玄米を食べることがどれくらいのメリットがあるのかわかれば、きっとあなたも今日からご飯を発芽玄米にしようと思うはずです。

毎日でも、自宅で気軽に玄米を発芽させて、食べることができるので嬉しいです。

豆料理、にんにく、青汁

  • 静脈瘤を破裂しないようにするために、納豆を食べることに。そこから、豆料理が多く食卓に上がります。
  • にんにくを毎日食べてることが長寿の秘訣」だと知れば、実際に毎日食べることに。
  • 野菜不足には青汁がオススメ。

がん再発予防のための食事、「果物」

初めの方は肝臓の回復を助ける目的で食生活を見直していましたが、ガンの摘出手術をした後は、ガンの再発をどうすれば防げるのかが1番の課題となりました。

たくさんの事に挑戦し過ぎたこともあり、今では時間がかかることや、面倒なこと、お金がかかることはやめています。あるいはお金で解決できる事や、比較的に安く済ませられる方法がある場合は、そっちの方を選びます。長続きできなければ意味がないので、シンプルかつ効率のよい方法を見つけることが長続きするコツだということがわかりました。

これから、自分がガンの予防に有効だと思われる食べ物を試したものを一つ一つ紹介しようと思います。

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