回想記 19:病気(肝炎発症、肝がん)になってわかったこと、「自分の身は自分で守れ」

病気になって初めて健康の大事さがわかるといいますよね。私は肝炎を発症し、肝ガンができことで身をもってそれを知りました。多くの人は、平和である時ほど今ある状況が永遠に続くと思っています。しかし、何かが起きた時に実際は違うのだと気づきます。

人は生まれてから着実に死に向かって生きていることは間違いありません。いつかは死にます。違いは何歳で死ぬかです。健康で長生きできればいいです。人並みに平均寿命まで生きられれば、まあまあ悪くないなと思ったりまします。

しかし、平均寿命が80だとすると、それよりももっと早くに亡くなる人がいるわけですよね。それがひょっとしたら、自分かもしれないと考えるのだろうか?歳を取って徐々に老いて少なくとも平均寿命で亡くなるのが理想でしょうけど、そればかりは自分にはわかりません。

いきなり事故にあって明日亡くなるかもしれない。調子が悪くて病院に行ったら、いきなり「ガンです」と余命宣告されることも珍しくありません。このような不幸な出来事は誰にも起こりうるのです。ガンができて摘出手術をしてからもう10年以上がたちますが、なんとかここまで生きてこられたことをありがたく感じます。生きているだけで実は十分にありがたいことなのです。

私が大病してから今日までの10年以上の間に学んだこと、考えさせられたことを書こうと思います。病気で悩んでいる人、生きることがつらいと思う人たちにとって、何らかの参考になってもらえたら幸いです。

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診察、定期健診で得た教訓

私はヨーロッパに住んで、もう25年以上になります。西洋医学は文字通りヨーロッパが起源なので、さぞかし医学が発達していて病気にかかっても心配することはないと思うでしょう。しかし、私はそうは思いません。確かに、総合病院があり、医療器具は揃っています。医療費、薬は国が負担してくます。しかし、患者を診察する医者の質と考え方に疑問を感じます。

結果から言うと、私は医者の言うことは100%、真に受けません。まずは疑ってかかります。「疑うのだったら、初めから医者にかからなければいいだろう」と思うでしょうけど、検査や、薬は医者の処方箋がないと受けられません。一応、医者の話は聞きます。しかし、聞き入れるかどうかは自分の判断で決めます。

医者は疑ってかかれ?

事の始まりは肝炎の発症です。30歳の時の話になります。ある時から体がだるい、疲れやすいと感じるようになりました。病院に行って診察してもらったのですが、風邪薬か鎮痛剤みたいなものを三種類もらって帰りました。一週間飲むように言われたのですが、一向に良くなりません。それどころか、体調が悪化していきます。体は相変わらずだるいし、尿の色も赤茶色です。

これはおかしい、肝臓に異常があるに違いないと思い、病院に戻って血液検査をしてもらうよう頼みました。検査結果は案の定、GPT/GOTの数値が数千というとんでもない数でした。その時の医者の反応は今でも忘れません。「原因が見付かって良かった!」の一言だけです。

1回目の診察で、当てずっぽではなくちゃんと診てほしかったです。一週間もの間、薬を飲み続けたことでさらに肝臓に負担をかけていたわけですから。しかも、自分から提案しないと前に進まない。この時からです、医者に対して不信感を抱くようになったのは。医者は自分が病気で苦しんでいるわけではありません。医者にかかればそれで安心していいわけではないことを身をもって知りました。

患者は実験台モルモット?

もう一つ、医者は本当に患者のことを考えているのか疑ってしまう出来事があります。肝ガンの摘出手術をしたすぐ後のことです。入院中に担当医が病室を訪ねてきました。術後の経過、今後の話などをしている時に医者に言われた言葉がとてもショッキングでした。まだ精神的にも弱っている時に、「今度、肝ガンができたら肝移植になります」といとも簡単に言うのです。

自分の中では、そう簡単にガンが再発するわけないと思っていたので、しばらくしてからそのことは忘れました。それから、半年がたった頃に担当医からまた肝移植の話が持ち上がってきます。この時は冗談ではなく、医者が真剣に勧めてくるのです。

「ガンが再発してからでは遅い」としきりに勧めてきます。今のうちに移植した方が生存率が高いという理由で、むりやりフランスの権威のある移植の専門医に会いに行くように指示されました。

実際に移植の専門医に会うと、逆に彼は私のことを不思議がっていました。肝臓にガンがあるわけでもなく、切羽詰まったわけでもないのに、なぜわざわざ会いに来る必要があるのか?と言われました。

それから「担当医の意図はいったい何か?」を考えてみました。

医者が私に移植をしてほしいのは、彼らの点数稼ぎ、実績のためではないか?

移植には費用がかかるので、お金儲けのためではないか?

移植後に拒絶反応が起こるリスクについてはあまり説明せず、ひたすら生存率が高くなると言うだけ。

そのようなことを考えると、医者は本当に患者のことを考えているのかと疑ってしまいます。

自分の身は自分で守れ

最初に肝移植の話を持ち出してから数年の間は、何度もしつこく移植を勧めてきました。ちょうどこの頃、周りに同じような状況で肝移植した人が一年余りで亡くなった話を聞きました。そのため、移植に関しては慎重にならざる負えません。肝ガンの摘出手術は成功し、とりあえず健康的な生活は送れています。

ガンが再発しなければ今まで通りの生活ができるわけです。肝移植をして失敗した場合を考えると、リスクを侵す価値はあるのかといろいろ考えました。日本に行って、肝臓病の専門医にも一応意見を聞きました。その医者は移植は最終手段で使うべきとアドバイスしてくれました。その医者にしてみれば、肝移植したところで何も利益はありません。なので、本音を言ってくれたのでしょう。

しかし、これには後談があります。「世の中ただ程高いものはない」とよく言ったものです。アドバイスは無料でしてくれたのですが、後日に受けさせられたガン遺伝子検査は八万円もかかりました。

なにか、ここでもお金儲けの匂いがしてなりません。よくある手法に引っかかった気がして後味が悪かったが、肝移植に関して得たセカンドオピニオンに払った代金と思って自分を納得させました。

実際、その医者の意見はとても参考になりました。医者の意見は全く信じるなとは言いません。医者の意見は聞きつつ、情報は違うところで集め、最終的に自分の頭で考えて判断することが大事なのです。

  • 医者の言うことは鵜呑みにしない。
  • 自分の頭で考え、判断すること。

医者は自分が治療を受けるわけではありません。患者はお客さんです。国民全員が健康だと医者の仕事がなくなりますよね。簡単に病気が治るよりも、病気が長引いたほうが医者と製薬会社は儲かります。それが現実です。

もちろん、患者のために考えている善良な医師もいます。私もなんだかんだ言っても、定期検診や緊急の場合は病院に行きます。しかし、医者の意見はあくまでアドバイスとして聞き、どうするかは自分で判断します。

このことは常に自分に言い聞かせています。

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