肝臓にガンができる
次女が生まれて家族四人に増え、家の中がさらに賑やかになりました。育児は大変だったと思いますが、毎日が幸せで一杯でした。
それが、医者からかかってきた一本の電話で一気に吹っ飛びます。目の前が真っ暗になりました。季節は春になり、日本に一時帰国する予定だった頃です。
その一カ月前にCT スキャンで肝臓の検査を受けていて、電話はその結果の報告でした。ヨーロッパの医者は日本と違い、何があってもやりとりは患者本人とします。
ガンの告知も家族ではなく、本人にします。おそらく、予約を取ってから知らせるなんて悠長なことしてられないのでしょう。電話で単刀直入に「CT スキャンの結果が出ました。肝臓に数センチの腫瘍が2つ見つかりました。手術で摘出した方がいいでしょう。」とこんな感じで事務的に伝えられました。たった数分のやりとりです。
頭の中がパニック。日本行が二週間後に控えてありましたが、すぐにキャンセルしました。その後は病院でいろいろと検査を受け、全身麻酔の担当医、手術の担当医、主治医などに会って、手術の説明を受けたりと、瞬く間に二週間が過ぎていきました。
手術をした方がいいと医者に言われ、この時も疑いもせずに言われたまま手術をすることに同意しましたが、手術をせずに放射能治療や抗がん剤治療などの選択肢もあったはずです。しかし、あの頃はそんな余裕がありませんでした。でも、それがかえって良かったのかもしれません。もちろん、手術に成功したからそんなことが言えるのでしょうけど。
医者が手術で摘出した方がいいと判断したのは、私がまだ若く、成功率が高いと見込んだからに違いありません。放射能治療や抗がん剤よりも、広範囲で腫瘍がある肝臓の部位を摘出した方がガンの再発や転移する可能性が低いのでしょう。
肝臓ガンの摘出手術
日本行が予定されていた週の日曜日の夜に病院入りし、次の月曜日の朝に手術することが決まりました。ガンの告知を受けてから手術する当日までの二週間はつらかったです。子供の寝顔を見ていると涙が止まりません。
「手術に失敗したらこの子たちの寝顔がもう見られなくなる。大きくなったらテニスやスキーを一緒にするのが夢だったのに、それもできなくなる。」そう思うと悔しくて仕方がありませんでした。なんで自分だけがこんな仕打ちを受けなければいけないのか、世の中の理不尽さに悔しがっていました。
しかし、手術の前日はそんな緊張もなくなっていました。この場に及んで悩んでもしょうがないと思って、腹をくくったのでしょう。なるようにしかならない。手術中は全身麻酔で痛みなど感じないのだから、怖がる必要もありません。
自分が記憶しているのは月曜日の朝にストレッチャーにのせられて手術室に運ばれ、口と鼻を覆うマスクをあてられ、ふつうに息を吸ったところまでです。手術は数時間で終わり、麻酔が切れたのが夕方の4時頃。
あっけなく終わってしまいました。手術自体はもちろん、全身麻酔のおかげで痛みなど感じないのでつらくありません。問題はその後です。鼻、お腹、尿道、腕など、体のあっちこっちに管が通されています。退院するまでの一週間の方がむしろ嫌でした。
お腹を切っているので、くしゃみをしたり、笑ったりすると腹筋が痛くなったのはよく覚えています。術後感染症もなく、無事にガン細胞を摘出できたのは本当に良かったです。
ガンができたのは不幸ですが、手術を受けることができ、うまく摘出できたのはラッキーだったと思います。手術自体が失敗したら、そのまま帰らぬ人となっていたかもしれないのですから。
肝移植を勧められる
入院中に時々、主治医が病室を訪れ様子を見に来てくれました。ガン摘出手術が成功し、これでもう安心かと思いきや、主治医の口から出てきた言葉は少し違いました。
最初に出てきた単語は肝移植。今度、肝臓ガンが再発した時は摘出ではなく、肝移植をオススメしますと言われました。
手術をしたばかりで、体力的、精神的にまいっているのに、そんなこともお構いなし。平気で肝移植の話を持ち出してきたのにはビックリしました。
世界一空気が読める日本人(ちなみに私は華人ですけど)にしてみれば考えられません。ヨーロッパの医者は患者の精神状態を考慮せずに、ズバズバと言いたいこと言ってきます。
「ウイルスが原因の肝臓ガンは再発しやすいですよ。再発したら肝移植をオススメします。ベストは再発する前に移植した方がいいですよ。生存率が高くなります。」と言われれば肝移植をした方がいいかなと思ってしまいます。
手術後二カ月ほどした時に医者から連絡が来て、フランスの移植の専門医を紹介するから会ってきてくださいと言われました。主治医が私のことで他の医者と話し合った結果、肝移植をした方がいいということになったそうです。
再発してからでは遅い。場合によっては肝移植ができないかもしれない。理由は、次のようなミラノ基準があるからと説明をしてくれました。
“ミラノ基準の用語解説 – 肝細胞癌に対して肝移植が適切か判断する基準の一つ。腫瘍(しゅよう)が単発で直径5センチ以下、または3個以内で直径3センチ以下の場合、肝移植が適当としている”
再発の確率は高く、何度も繰り返すことになるかもしれない。そう言ってくるのです。
フィーリングですが、移植することに対してしっくり来ませんでした。
本当にする必要があるのだろうかと疑っていました。。それでも、主治医に反抗する勇気もなく、とりあえず紹介された医者には会ってくることにしました。
退院、社会復帰
一週間で退院して、その後は自宅で一週間だけ安静してすぐに仕事に復帰しました。もちろん、お腹の筋肉はまだ完全にくっついていません。歩く時も前かがみででした。それでも、ずっと家に閉じこもっているよりは仕事に行ったほうがいいと思ったのです。
医者も体を動かした方が体の回復は速いと言うので、家事もぼちぼち開始。さすがに運動は二カ月ほど我慢していました。
医者の言う通り、体の回復は順調に進み、手術前と同じ日常生活に戻れました。
ただ一つ失敗したことは、体を動かし過ぎたために傷口がきれいにふさがらなかったのは残念でした。おへその辺りに3センチほどの長さで、ミミズぐらいの太さの傷跡が残りました。命に別状はないのだけれど、この先ずっと人前で上半身裸になれませんでした。
やっと最近です、10年経った頃から吹っ切れたのは。今では海でも、プールでも人前で上半身裸になっても平気です。今までは子供の前では絶対に着替えられませんでしたが、今は平気です。
体力は徐々に回復し、落ちた体重も増え始め、見た目は以前と変わりません。しかし、不安はたくさんありました。再発するかもしれないと思う恐れ、移植の話、それらのことを考えるあまり、知らずのうちに体がストレスを受けていました。呼吸が苦しくなったり、胃が痛くなったり、そんな状態が1年以上続きました。