徳を積む生き方:人より多くお金を払い、徳を積むことであなたも幸せになれる

東南アジアを旅行するにあたって、少し腑に落ちないことがあります。外国人というだけで、地元の人よりも多くお金を払わなければいけないという概念が存在することです。

ベトナム華人の家庭に生まれてきた私は、社会主義的な思想がある親から「お金のある者が、無い者に恵んであげる、あるいは多く払うのが当たり前」と言うことを昔から聞かされてきました。

間違っていはいないとは思うのですが、やはりこの理屈もなにか納得がいかないのです。

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日本は差別しない

日本では、日本人だろうが外国人だろうが、みんなが同じ物、サービスに同じ値段を払います。

そういう意味では日本はとても安心して旅行できます。

日本では旅行者からお金を多く騙しとろうと考えている人はあまり見かけません。もちろん絶対ということはありません。中にはあくどい商売をしている人もいます。スリもいないわけではありません。しかし、東南アジアに比べて圧倒的に少ないのは確かです。

旅行者に2倍の料金を提示することは日本ではありえません。

東南アジアでは、お金を持っている人が多く出すのが当たり前

しかし、東南アジアでは2倍どころか10倍なんてざらです。

東南アジアでは外国人は裕福だから、多く払って当たり前。お金を持っている人が多く払ってもらうのが当然で、何がいけないと思っている風潮があります。

ベトナム華人の私がベトナムに一時帰国する時も同じことが起こります。ベトナムで親戚たちと外食する時は、大抵は私が払っています。現地に住んでいる親戚に比べたら、ヨーロッパに住んでいる私の方が断然稼いでいるのは当たり前です。

しかし、カナダ、オーストラリアから集まってきた親戚ですら、私の方が稼いでいるため暗黙の了解で私が多く払うかご馳走します。

そこに、お金が稼げるようになったのも学生のころ苦労して勉強したことや、一生懸命に働いて稼いだお金であることは考えません。学校に行けたこと、仕事にありつけた事も運が良かったのだからと、努力したことは考慮しません。

確かに、ベトナムを無事に脱出できたことは運がよかったかもしれません。親戚の中にはボートが沈没したり、海賊に襲われたりして消息が絶ってしまった人もいます。

しかしその後、言葉も分からない国で生きていくのは大変なことです。そこら辺は理解してもらいたいものです。

何が言いたいかというと、貧しい国では裕福な人が貧しい人たちのために多くお金を払うのが当たり前で、その人がいかに苦労して稼いだかどうかは全く考慮されません

多く払うのはいいのだが、感謝の気持ちをもっていればまだしも、もらって当然と言わんばかりの顔をしています。

それがあまりにも露骨なため、不快な気分にさせられます。

大抵はもう2度と会わない観光地での出来事が最も多いので、ロングステイをする際はその機会も減ります。

長くそこで生活すれば、物価の相場がわかってくるし、地元の人たちと良い関係がもてれば、そこまで露骨に他よりも高く払えとは求めてこないでしょう。

しかし、逆に親しくなりすぎると、お金に困った時などは情に訴えてお金を借りにやってきます。この場合は50%の確率で、貸したお金は帰って来ないと思った方がいいでしょう。親戚内ですらそうなのですから、血が繋がっていない場合は言うまでもありません。

ケチらずに、気前よく払うことは徳を積むことになるという考え方

昔から自分が周りの人よりも多くお金を払わなければいけないことに、いつも不満を感じていました。この事を母親に話すと返ってくるアドバイスは「人より多く払う、または奢ってあげることは徳を積むことになる。奢られるよりも、奢ることに喜びを感じなさい。人よりも多くお金を出せる立場にいることに感謝しなさい。」と言った感じの母親独特な人生哲学です。

確かに、昔からお金を払う事を渋ったり、ケチったりすると、人徳が得られないと言われていました。

人徳を得られると思えば、人よりも多めにお金を払うことに対して、少しは抵抗が無くなります。

まとめ

欧米諸国やアジアの裕福な国から来た人たちが、発展途上国で地元の人たちよりも多少多く払わされたからと言ってカッカしないことです。

それが、一桁多い場合はハッキリ言って良いと思いますが、数百円程度の額を多く払ったら、チップと思えば気は楽になります。

それが、あまりにも理不尽な場合や、詐欺まがいの悪質な行為だった場合は断固としてNOと言うべきでしょう。

お金の貸し借りは情に訴えられても断るべきです。

身の上話を聞かされても、それが本当か嘘かわかりません。貸したいのなら、あげても良いという前提で貸しましょう。その場合は少額にしておくべきです。

発展途上国に生まれた人たちにしてみれば、先進国で生まれたと言うだけで人生に大きな差ができるのは確かに不公平なことには違いありません。

なので、貧しい中で一生懸命に働いている人がいれば、チップをあげるものだと割り切って、多く払ってあげましょう。

些細なことですが、少し多めに払うことで彼らの生活の手助けになると思えば少しは徳を積んだことにもなるのではないでしょうか?

東南アジアで貧しい暮らしを強いられている人々を見ると、今自分たちが置かれている状況がとても恵まれていることがわかります。

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